勉強をするというのはこういうことだ(1)

2025年03月18日 11:39

 日本では「右」の意味がどのように表現されてきたかを調べていくと、方角を用いた説明が非常に目立ちます。「南を向いている時の西側」とか、「東を向いている時の南側」といった風に。
 大変筋の通った説明であるように思われますが、これを理解するためには、東西南北を把握している必要があります。ここで向学心のある人は、「南とは?西とは?」ということを自分なりに考えたり調べたりして、「右」という1つの言葉から知識の枝葉を広げようとします。そうすると、周辺情報も含む幅広い知識を得られるわけだから、人に説明する時に筋の通ったストーリーを形成しやすくなり、自身の表現力に自信がつき、積極的に発信する意欲が高まることでしょう。
 また、「自分だったら右をどう定義するか?」を考えたりもします。僕の場合だと「太陽が昇り始める場所を見ている時、そこから太陽が移動していく向き」と考えましたが、これも太陽の日周運動についてある程度体感する必要があるし、太陽は斜め上に上がっていくので、「右」の説明としては不十分かなと思います。だから他の案を考え直す。納得いくまで考える…考えるのに疲れたら、いったん諦める。そして、岩波国語辞典が発表した奇策に、「負けたー」と悔しがる。
⇒「相対的な位置の一つ~中略~この辞書を開いて読む時、偶数ページのある側をいう」
 更には、「昔の人はどのように定義していたのかな?」ということが気になり、調べることもあるでしょう。そうして、「箸を持つ手の側」という定義に行き当たり、「昔はこんなに多様性の無い発想がまかり通っていたのだな」と、歴史を批判的に捉える機会も得られたりします。
 こうした習慣を5年、10年と続けた人と続けていない人との基礎学力や知識の差がどれほど広がるかは、想像に難くないと思います。生まれつきの能力差は勿論存在しますが、こうした面を見ようともせずに安直に諦めるのではなく、自身の日頃の行動習慣を見直してみてはどうかと思います。
 ネット社会になって以来、「調べたいことにすぐに辿り着けてしまい、『貴重な寄り道』をする機会が減ったため、人々の知識が狭くて深い(時に浅い)ものになっている」という指摘を耳にする機会が増えましたが、そういう世の中であっても、関わる人の意識や行動次第でいかようにでも多くのものを得られると思います。いやむしろ、簡単に調べがつくのだから、寄り道もしようと思えば簡単なのでは?

 誰しも6歳くらいまでは「何で?」「どうして?」という時期があったのでは?

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